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第1回 太平洋戦争

ヒストリー 〜知ってると映画が面白くなる〜 第1回 太平洋戦争
このたび、新コーナーとして、映画をもっと楽しめるように、歴史についてわかりやすく説明する「ヒストリー 〜知ってると映画が面白くなる〜」のコーナーを新たに設置させていただきました。史実をもとに作られた映画は、その歴史を知っていると、2倍も3倍も面白くなります。皆様がより充実した映画ライフを送れますよう、このコーナーがお役に立てればと思っています。
 

8月15日は終戦記念日です。1941年から1945年にかけて、日本がアメリカを相手に戦争をした「太平洋戦争」は、この日、日本の負けという形で終わりを告げました。このコーナーでは、「太平洋戦争って何?」と、言葉だけは知ってるけど、実はよく知らないという人のために、シネマガ独自の視点から、戦争が起きた理由から、わかりやすく説明します。

植民地などになってたまるか!

戦争を知るためには、まず「列強(れっきょう)」というものを知っておく必要があります。列強とは、イギリス国、フランス国、ドイツ国、アメリカ国、ロシア国など、力のある強い国のことです。強い国は、自分の国をもっと豊かで便利なものにするために、他の土地を侵略して、その土地を武力で支配していました。支配された地域を「植民地(しょくみんち)」といい、それを支配している国を「帝国」といいます。植民地ではふつうは支配している国の言葉が公用語になります。

白人たちは、「白人こそ一番偉いんだ」といって、有色人種をハナクソのように扱い、アジアやアフリカ、アメリカ大陸の地域を次々と植民地にしていきました。抵抗した国もありましたが、歯向かってもとても勝ち目がありませんでした。泣く泣く有色人種たちは白人たちに支配されていったのです。20世紀になると、アジアでは、日本国とタイ国を除く地域が根こそぎ列強に侵略されていました。

かつて小さなアリが巨大なゾウを倒した

そして、日本にも植民地化の危機が訪れました。列強のロシアに目を付けられたのです。日本は国を守るため、ロシアに戦争をしかけました。「日露戦争(にちろせんそう)」(1904-1905)です。もしこの戦争に日本が負けていたら、日本という国は滅亡していたでしょう。

ロシアは日本をハナクソのように思っていたので、簡単にひねりつぶせるものだと思っていました。実際、ロシアの国力は日本の10倍もありました。戦艦は日本には4隻しかありませんでしたが、ロシアには30隻以上の戦艦がありました。世界中の国が、日本には絶対に勝ち目がないと思っていたのです。ところが、日本はロシアに対して勝利したのです! 日本の戦艦は無傷で、ロシアの艦隊は全滅するという、まさに完全勝利でした。初めて列強が有色人種の国に負けたのです。これはアジアの人々に勇気と希望を与えました。

日本は日露戦争に勝ったことで、ロシア領樺太の南半分と、ロシアから狙われていた朝鮮半島全域を日本の領土にすることができました。日本もこれに大いに自信をつけました。一方、ロシアは日本との戦争に負けたことで弱い国になり、やがて革命(国が生まれ変わること)によってあらたにソビエト連邦(ソ連)という別の列強国がそこに誕生することになります。

戦争に負けるとペナルティが課せられる

列強の国の多くはヨーロッパにありました。列強は列強同士でにらみあっていたのです。やがて列強同士巻き込んだ大規模な戦争が勃発します。それが「第一次世界大戦」(1914-1918)でした。列強のドイツが、その他の列強国と戦った戦争です。ここではあまり詳しく書きませんが、日本もこの戦争に参戦して、太平洋にあるドイツ領の植民地を攻めて勝利しています。この戦争で、ドイツは他の列強国に破れて敗戦国となり、国土を削られ、巨額の賠償などたくさんのペナルティを課せられて、列強国から弱小国に転落しました。以後、列強からも見下され、文字通り独りぼっちの国になったのです。ドイツは堪え難い屈辱を味わいました。

アメリカもかつては植民地だった

敵国となるアメリカについて少し歴史を振り返ってみましょう。アメリカはかつてはイギリス国の植民地でした。多くのアメリカ人が英語を話すのはそのためです。アメリカ地域で「人類はみな平等であり自由である」と叫んでイギリス国を相手に独立戦争が起き、1776年7月4日に独立してアメリカ合衆国という国が誕生しました。最初はニューヨークを中心とした小さな国でしたが、そこからどんどん西へ西へと領地を拡大して現在の大きさになったのです。

植民地が列強の支配から逃れるためには、国として独立することが一番の近道でした。国になってしまえば、支配している国の命令に従わずに済むからです。しかし、国として独立するためには支配国に独立を認めてもらわなくてはいけません。そのためには列強に屈しない、列強にウンと言わせる強力な力が必要でした。独立戦争に勝利したアメリカにはその力があったのです。

かつての中世の大航海時代では、列強といえばスペイン国やポルトガル国を指しましたが、アメリカは1898年にスペイン国と戦争をして勝利し、スペイン国が占領していたフィリピン、グアムなどの植民地をそのままアメリカ国の植民地にしました。スペインは近代化に乗り遅れ、列強から転落しましたが、アメリカはスペインに勝ったことで列強として確固たる地位を築き上げたのです。

日本の歴史はアメリカよりももっともっと古く、崇高です。アメリカや他の各国の建国年を比較すると、日本がいかにすごいかわかります。日本は世界一歴史の長い国なのです。

国名 建国年 備考
イギリス国 927年 1707年より連合王国になる
フランス国 987年 1799年に革命(フランス革命)
アメリカ国 1776年 イギリスから独立
ドイツ国 1871年
イタリア国 1861年
ソ連国 1922年 ロシア革命より
中国 1912年 中華民国のこと
日本国 紀元前660年 1868年に革命(明治維新)

日本と中国が激突

蒋介石

太平洋の島々を我がものにしたい列強にとっては、日本は邪魔な存在でした。

そんなとき、蒋介石(しょうかいせき)を中心とする中国(中華民国のこと。中華人民共和国とは別物です)と日本の間で大規模な武力戦闘が起きました。1937年から始まった「支那事変(しなじへん)」です。お互いに宣戦布告をしていないため、他国が介入して複雑な戦闘に発展しましたが、ここでは詳しくは説明しません。ただひとつ重要なのは、アメリカが日本を苦しめるために蒋介石を支援して中国に物資を送っていたことです。中国は建国以前は列強各国に植民地分割されていました。アメリカは中国の利権を欲していたのです。日本とアメリカの関係は悪化の一途をたどります。日本と中国の戦闘は、やがて太平洋戦争の一部となっていくのです。

ヒトラーの野望

ヒトラー

ところで、その頃のヨーロッパでは、第一次大戦に負けたドイツが、その屈辱をバネにして、ついにまた立ち上がったのです。かの有名な独裁者アドルフ・ヒトラーの「ナチス・ドイツ」の登場です。ヒトラーは個人の意思よりも国家のことを第一に考える「ファシズム」の思想を掲げていました。ヒトラーはドイツ人こそ世界最高の民族であり、ヨーロッパを支配できるのはドイツ人しかいないと考えていました。

ヒトラーは1939年9月にポーランド侵攻を開始しました。これが「第二次世界大戦」(1939-1945)の始まりです。ドイツはヨーロッパ諸国を驚異的スピードで侵略していきました。太平洋に植民地を持つオランダもドイツに占領され、ついに列強最強と言われたフランスまでもドイツに完敗してしまいました。フランスは、ドイツに対して休戦を申し込み、パリを含む国土の大部分を捨てる代わりに国家を滅亡の危機から守りました。

ドイツの勢いはとどまるところを知りません。このままいけばヨーロッパはドイツが征服しそうな勢いでした。そこで日本は、今のうちにドイツと仲良くなっておこうと考えました。日本もドイツも孤立状態にあって、列強から敵視されている共通点がありました。こうして日本とドイツは1940年に同盟を結んだのです。イタリアも含めて「日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)」が締結されました。第二次世界大戦とは、ヨーロッパではドイツが中心となり、太平洋では日本が中心となって戦った戦争といえます。

戦争の原因は石油だった

日本は、ドイツと同盟を組むと、ドイツと握手したフランスの植民地であるベトナム、ラオス、カンボジアをフランス軍の合意のもと、その支配下に置きました。日本はアメリカの中国支援ルートを遮断します。これに怒ったアメリカは日本に対して石油の輸出をストップしました。日本の力を弱めるためです。日本の石油という石油はアメリカからの輸入に頼りっぱなしだったため、アメリカが輸出をやめれば、日本では兵器が何も生産できなくなってしまいます。日本は今国内にある石油のストックだけで頑張っていかなければならなくなったのです。これはアメリカは日本に死ねと言ってるようなものです。あからさまにアメリカは日本を挑発していました。これが太平洋戦争の直接のきっかけになりました。

まだ国交の余地はあったため、なんとかアメリカに交渉してみましたが、いわゆる「ハル・ノート」といわれるものを突きつけられました。その内容は、1.中国・ベトナム・ラオス・カンボジアからの日本軍撤兵、2.ドイツとの同盟の解消、3.満州国(後述)の否認でした。到底承服できない条件書であり、事実上これはアメリカの最後通告でした。さらにアメリカはハワイに艦隊を集結させて戦争の準備を始めていました。日本は開戦に踏み込みます。

サムライジャパンの不屈の精神

東條英機

開戦は最後の手段でしたが、このままアメリカの好きにさせていたら、いずれ日本は滅んでしまいます。とはいっても戦うにも相手が悪すぎます。アジアはほぼ列強の支配下にあるのですから、戦争となれば、日本は世界の列強を相手にたった独りで戦うことになるのです。戦争をしかけたとしても、どのみち負けて日本という国は滅んでしまうでしょう。

2000年以上国家を守ってきた日本です。何もせずにみすみす国を滅亡させてしまうことだけは日本人の魂が許しませんでした。日本を除くアジアの土地という土地を屈服させ、植民地にしてしまった侵略者に黙って屈するわけにはいかなかったのです。今ここで日本が立ち上がらなければアジアはまるごと列強のものになってしまうでしょう。言わば日本はアジアの民族を代表して、列強を相手に戦うことを決意したのです。このときの日本の首相が東條英機(とうじょうひでき)でした。

日本のだまし討ちから始まった戦争

開戦は1941年12月8日です。日本はこの日、アメリカ軍の海軍基地があるハワイのパールハーバーに対して奇襲を行い、成功しました。これが歴史の教科書でも有名な「真珠湾攻撃」です。アメリカとイギリスを合わせた艦隊規模を10とすると日本は3だったため、まずは敵の艦隊をできるだけ多く沈めておく必要があったのです。しかし、これがだまし討ちになってしまったため、アメリカでは「日本人は卑怯だ。正義はアメリカにある。パールハーバーを忘れるな」がスローガンになり、アメリカの団結力を高める結果となりました。

日本軍の敵は、アメリカに加えて、イギリス、中国、オランダなどの「連合国軍」でした。ソ連とはお互いに攻めないことを約束していたので、この時点ではまだ敵国ではありませんでした。ソ連はドイツとの戦いに忙しかったため背後の日本と戦っている余裕はなかったのです。中立国だったソ連は講和の仲裁国になってくれるとして期待されていました。

開戦時、日本の領土はこんなに広かった

日清戦争で清国(中国)に勝って台湾を領土にした日本は、日露戦争でロシア国に勝って南樺太と朝鮮半島を領土にしました。続いて、第一次世界大戦でドイツ国に勝利したことで、それまでドイツ領だったサイパン、パラオ諸島、マーシャル諸島など、太平洋の島々を占領下に置くことになり、名実ともに「帝国」になっていました。また、日本は中国本土に日本の操り人形となる国家「満州国」を建国させていました。開戦当時、日本の領土はこんなにも広かったのです。

戦前の東アジア

植民地でいじめられている民族を解放せよ!

日本軍にとって、まずはとにかく石油の確保が重要でした。そこで、石油が採れるインドネシア地域を占領下に置くことを考えました。インドネシア地域はオランダの領土でオランダ人から迫害を受けていましたが、日本はインドネシア地域を支配しているオランダ軍を降伏させ、インドネシア人に自由を与えました。そして、インドネシア地域を国として独立させるべく支援したのです。インドネシア地域では日本軍は神から遣わされしものとして歓迎されました。しかし、それは建前であり、日本の本音としては、日本の操り人形となる国家にしたかったのです。こうして日本は石油をなんとか確保することができました。それまでオランダ語が公用語とされていたインドネシア地域ではインドネシア語と日本語が公用語となりました。

東南アジアおよび太平洋の島々では、タイ国を除いて、そのほとんどが連合国軍の植民地になっていました。フィリピン、グアムはアメリカ領。マレーシア、ビルマ(ミャンマー)、インド、ソロモン諸島などはイギリス領。パプアニューギニアはオーストラリア領でした。つまり土地のひとつひとつが連合国軍の軍事基地あるいは後方支援経路として機能しうるのですから、日本はとにかく列強に支配されている植民地を根こそぎ日本の占領下に替えて防衛圏を固めなくてはいけませんでした。日本は東南アジアに向けて一斉に進攻作戦を開始しました。植民地を列強の支配から解放し、国として独立させるよう支援すること。つまり日本はアジア各地域に「みんな今こそ我らと共に立ち上がれ! 列強に屈するな! 独立を勝ち取ろう!」と協力を訴えたわけです。これが東條英機による「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」という一大構想です。なお、唯一植民地支配されずにここまで頑張ってきたタイ国も日本を敵に回さないように日本と同盟を結んでいます。

アジアを支配し、でっかくなっていく日本

日本の東南アジア進攻は、ドイツのヨーロッパ侵攻にも勝る驚くべきスピードで次々と成功していきました。フィリピン、グアム、香港、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドネシア、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ギルバート諸島を支配下に置き、さらにアメリカ領のアッツ島、キスカ島を占領。フィリピン地域は東南アジアで唯一のアメリカ国の占領地域でしたが、ここにいたマッカーサーは日本軍の猛攻に敗れてフィリピン地域を捨てることにし、オーストラリア国に逃げ去ることになります。最後にマッカーサーが言い残した言葉が「必ず戻ってくる」でした。日本はフィリピン地域をフィリピン国として独立させアメリカから手を離させました。

このとき日本は歴史始まって以来最大の版図を描き上げました。まさに「大日本帝国」でした。ただし占領地の面積がふくれ上がるほど兵士の密度も減って行きました。

戦時中の東アジア

アメリカにこてんぱんにされた日本

敵はオーストラリアにいるため、オーストラリアからの進攻を防ぐため、日本はオーストラリア本土に対して空爆を開始し、軍事基地を破壊していきました。その一方で、日本軍は日本とハワイの中継地点にあるアメリカ領のミッドウェー島を占領すべく、艦隊で攻め込みますが、アメリカ軍に迎え撃たれ、日本軍は徹底的に叩き潰されました。これが「ミッドウェー海戦」(1942年6月5日)です。この戦いで日本軍は空母4隻を失い、日本とアメリカの形勢はここから逆転されてしまいます。役所広司主演の映画 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』でこの戦いが見事に映像化されています。

アッツ島、キスカ島もアメリカ軍に奪回されました。ソロモン諸島ガダルカナルを巡っても消耗戦が繰り広げられ、ソロモン諸島はついにアメリカに占領されてしまいます。また、日本軍はインドの独立作戦に失敗しました。

日本本土が爆撃圏内に!

アメリカはついにサイパンに進攻します。サイパンは絶対に守らなければいけない場所でした。なぜなら、サイパンを占領されると、日本本土が「B-29爆撃機」の搭載燃料で飛べる範囲に入ってしまうからです。そのため、東條英機は日本の持てる力をサイパン防衛に集中させました。ところがこれも敗れ、ついにサイパンはアメリカの占領下になり、グアムも奪還されてしまいます。アメリカのサイパン占領の様子は竹野内豊主演の映画『太平洋の奇跡』でも描かれています。東條内閣はこの責任を取って総辞職しました。アメリカは日本空爆を開始し、日本の多くの都市が焦土と化しました。

ついに日本固有の領土にアメリカ軍がなだれ込む

さらにアメリカは日本のもともとの領地である硫黄(いおう)島に侵攻を開始しました。日本は硫黄島を要塞化し、徹底抗戦してアメリカ軍をこれでもかこれでもかと苦しめます。日本軍2万人の部隊は全滅し、ついに硫黄島は陥落しましたが、アメリカ軍も総兵力6万人のうち実に3万人もの死傷者を出したのです。これで日本の固有の領土に初めてアメリカの国旗がはためいたのです。

このとき、アメリカ兵が星条旗を立てる様子を写した写真は、太平洋戦争における最も有名な写真になりました。アメリカ国民はこの写真を見て戦争の勝利を確信しました。この戦いをハリウッドで映画化したのがクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』です。続いてアメリカは多くの犠牲を払いながらも何とか沖縄を占領します。

日本の誇りにかけても絶対に降伏などしない

その頃、最初は勝ちまくっていたドイツも、イギリス侵略に失敗したり、ソ連にボコボコにされたり、フランスでレジスタンスにあったり、さらにはアメリカもヨーロッパ戦線に参戦し、いよいよ絶体絶命の状況にありました。連合国軍にベルリンを包囲されるとヒトラーはついに自殺、ドイツは降伏しました。ナチス政権は崩壊し、ドイツ国は主権を失い、連合国軍に分割統治されることになりました(これが後にドイツの東西分裂、ベルリンの壁へとつながっていくのです)。

アジアの日本の戦況もヨーロッパのドイツと同じく悲惨な状況でした。ただし、日本がドイツやアメリカ・イギリスと違っていたことは、どんなに劣勢になっても決して降伏しなかったことでした。日本人は、たとえ最後の一兵になっても抵抗を続けることを貫いたのです。日本兵にとって「玉砕(ぎょくさい)」は名誉なことでした。玉砕とは全滅するまで戦って死ぬことです。降伏すれば日本という国が滅んでしまう。それならばダメだとわかっていても最後まで戦って日本の気概を世界に示してやれ。日本は民族の誇りにかけても屈するわけにはいかなかったのです。ついには体当たりして敵艦隊を沈める人間魚雷や、アメリカに「カミカゼ」と言わせた神風特攻部隊までも登場しました。日本人はたとえ本土決戦となっても1億人が玉砕するまで戦い続けると言っていたほどです。アメリカは日本のしぶとさに驚き、最後の手段に出ます。

たった一発の爆弾で街ひとつが吹き飛んだ

そして、1945年8月、ついに「原子爆弾」が広島・長崎に投下されました。たった一発でひとつの街が吹き飛ぶ、とてつもない破壊力をもった兵器でした。負けることは屈辱的ですが、核兵器を持っているアメリカを相手にこれ以上は戦えません。アメリカ・イギリス・中国は日本に対して「ポツダム宣言」を発行します。これは「日本に降伏の機会を与えるから無条件降伏しなさい」という内容でした。

天皇はポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせました。このとき、日本降伏を阻止するために降伏反対派の青年将校たちが皇居を占拠するクーデター未遂事件も起きましたが、予定通り8月15日にラジオの電波を通して天皇の声が流れました。これが「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」です。

玉音放送の内容(訳)

「善良なる国民よ、私は日本政府にポツダム宣言を受け入れることを通告させた。米国・英国に宣戦布告した理由は、日本と東アジアの安定を願ってのことだった。しかし、一億国民が最善を尽くして戦ったが、戦局は好転せず、敵は残虐な爆弾を使用して何の罪もない民間人を殺した。これ以上戦争を続けることは日本国民の滅亡を招いてしまうだろう。これから日本の受ける苦難は大変なものになる。負けたくないという気持ちもよくわかる。しかし、私はこれから耐え難きことを耐え、将来の為に平和を実現したいと思う。国民よ、日本の不滅を信じよう。日本に再び栄光が戻ってくるよう力を合わせていこう」
(この後、『君が代』が流れる)

 

アジアの植民地が独立心に目覚める

この戦争に負けたことで、日本はアメリカの占領下に置かれることになりました。戦争に負けたドイツが連合国に分割統治されたように、日本本土もアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に分割統治される案がありましたが、最も力があったアメリカが統治することになったのです。日本がこれまで先の戦争も含めて武力で手にした領地は、列強の支配下に舞い戻ることになりました。しかし、日本が列強の権力を打倒し、日本の占領下で独立の夢を与えてくれたことは、アジアの地域の人々に列強に立ち向かう勇気を与えました。戦後アジア地域のあちこちで列強に対して独立戦争が起こり、後にインドネシアやインドなどが、自力で独立していったのです。やがて帝国主義の時代は終えんを迎えます。

なお、インドの偉い人たちは、独立は日本のお陰で果たせたと認識していて、「インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」という感謝状を送っています。

日本では天皇よりも偉かったマッカーサー

マッカーサー

終戦直後の日本は、アメリカのマッカーサー元帥による「GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)」の政策で動かされていました。マッカーサーと天皇が一緒に写った写真は日本国民に大きなショックを与えました。もはやマッカーサーは天皇よりも偉かったのです。それでもアメリカは日本を極めて平和的に占領していました。この様子をハリウッドで映画化したのがピーター・ウェーバー監督の『終戦のエンペラー』です。1947年にGHQは日本政府に指示して法を改めさせ、現代にも続く「日本国憲法」を施行させました。

なお、ソ連は日本を攻めない約束を破って、日本が降伏した後も、南樺太と千島列島に侵攻を開始し、領地を奪い取っています(日本はソ連とは戦後も平和条約を締結しておらず、今現在も千島列島の一部がロシアに実効支配されたままです)。朝鮮半島は戦後、北半分をソ連が統治し、南半分をアメリカが統治しました。これが間もなく朝鮮戦争へと発展していくのです。

戦後の東アジア

これは日本の侵略戦争か?

戦争では勝った方が負けた方を罰してきっちりとけじめをつけます。戦後、ドイツと日本の戦争責任者を起訴してドイツで「ニュルンベルク裁判」が、東京で「東京裁判」が開かれました。東京裁判では、連合国はこの戦争を日本の世界侵略戦争と決めつけました。連合国11カ国のうち、インドのパール判事だけが日本の無罪を主張する意見書を出しましたが、列強には聞き入れてもらえませんでした。日本の弁護側の言い分としては、アジアのあらゆる地域を植民地にしてきた列強が侵略でなくて、なぜ日本が侵略と言えるのかということですが、戦争というものは勝った方が正義ですから、アメリカにとっては原爆も正義でした。負けた日本は、悪として罰せられるしかなかったのです。日本のためにベストを尽くした東條英機は連合国よりA級戦犯とされ、処刑されました。しかし、靖国神社では、A級戦犯も日本のために戦い公務で無くなった軍人として祀られています。

戦争が終わって・・・

1951年9月8日には、「サンフランシスコ平和条約」が締結されました。これは日本と連合国との間で正式に戦争を終結させるための条約でした。連合国と日本に占領されていた国々が今後日本に対してどうするかについても決められました。フィリピン、インドネシア、ベトナムなどの国々はこの戦争に巻き込まれて多くの損害を被ったとして、日本から多額の賠償金を受け取ることになりました。

アメリカは、1億人玉砕も辞さなかった日本人の不屈な精神、2000年以上国家を守ってきた日本民族への畏敬の念もあり、日本を植民地としませんでした。アメリカはやるべきことをすべてやった後、日本本土は日本国のものだとして主権を返したのです。ただし沖縄はもともとは日本固有の領土ではなかったということでその後もアメリカの占領下に置かれました。

太平洋戦争に思うこと

アメリカと日本は、戦争で戦ったことで、戦後最も友好的な関係になりました。日本の文化もアメリカナイズされ、日本はアメリカに守られて急速に発展し、朝鮮戦争への物資輸出事業を発端に高度経済成長期を迎えていくのです。

日本は戦争に負けましたが、今の日本があるのは太平洋戦争で戦って死んで行った日本人たちがいたからです。現在も日本は世界的な影響力を持っています。70年前、強大な権力に屈せずに、日本の誇りにかけて最後まで戦い抜いた日本国民の不屈の精神を、私たち日本人は忘れてはいけないと思うのです。(2013/7/22 文・挿絵:澤田英繁)

2013年7月22日 04時13分

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