大女優・若尾文子が巨匠・溝口健二との思い出を語る
12月23日(金)から、角川シネマ新宿にて、溝口健二監督と増村保造監督の作品を上映する特別企画「溝口健二&増村保造映画祭 変貌する女たち」が開催中だ。溝口健二も増村保造も女の描き方に定評があった巨匠で、若尾文子、田中絹代、京マチ子、香川京子ら、女優を主演にした『雨月物語』などの名作が42作品上映される。
このイベントの初日の舞台挨拶に、溝口健二の晩年の作品に出演して一躍有名になり、増村保造の作品に20作に出演した若尾文子(83)が登壇した。
若尾文子は、日本映画界のそうそうたる巨匠たちから愛され、数々の名作に出演した女優の中の女優である。この日は大女優が登壇するということで、客席は満席だった。若尾は建築家だった亡き夫・黒川紀章がデザインしたというイヤリングをして登壇。40分近いトークショーでは、巨匠との様々な逸話が飛び出した。
増村保造監督作品での思い出では、スターから演技派へ、少女から女へと変貌を遂げる転機となった『妻は告白する』について「抱いていれば覚えられるというわけではないですが、毎晩台本を抱いて眠っていました」と、そのとき演技にかけた情熱はただならぬものであったことを明かした。
巨匠・溝口健二は、とにかく厳しい人だったということで、『赤線地帯』のときは、増村保造が助監督を務めていて、「溝口さんが増村さんに「若尾をなんとかしろ」と言っていたのが聞こえて、なんとかしろったって、言われた方は迷惑ですよね」とコメント、さらに「溝口さんは10日間、まったく声をかけてくれませんでした。良いともダメとも言ってくれない。帰ってとも言われないから、周りの人が雰囲気を見て気を遣って”今日は帰った方がいいよ”と言ってくれて。こんなにつらいことはなかったです。耐えられないですよ。死にたいと思いましたけど、死ぬと皆さんに迷惑をかけるし、いつも隠れて泣いてました」と明かしつつも「今ではあんなぜいたくなことはできません」としごかれたことを感謝していた。また、「溝口さんから言われたのは”女優はエロチックでありなさい”ということでした。今ではその意味がわかります」とも。一方で、溝口と並び称された小津安二郎監督についても言及し、「正反対の人。私は大好きよ。白い帽子に白いシャツ、全身白でした。小津さんの家に招かれたとき、壁に置かれていた絵について話したら、”その絵に気づいてくれたのは君だけだよ”と言われた。私は小津さんみたいな人と結婚したいと思いました」と映画ファンなら一瞬ドキッとするエピソードも明かした。
最後に、この日が天皇誕生日ということにかけて、若尾は「天皇陛下も退位したいとおっしゃっていたし、私もこれが最後かもしれませんけど、お会いできてうれしゅうございました」とジョークで締め、舞台挨拶は幕を下ろした。イベントは来年の1月26日まで年末年始も休ます上映する。