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紀里谷和明に学ぶ一流の仕事術

10月8日(木)、紀里谷和明監督の新作『ラスト・ナイツ』の先行試写会がデジタルハリウッド大学にて行われ、上映後、紀里谷監督自身による公開講座が行われた。

デジタルハリウッド大学と紀里谷監督の関係は長く、以前も『CASSHERN』、『GOEMON』で公開講座を行っており、今回は初のハリウッド進出作品『ラスト・ナイツ』を引っさげての登場となった。デジタルハリウッド大学ではこれまでも頻繁に著名な映画人を招いて公開講座を行っているが、大抵はモデレーターという進行役が横につき、モデレーターと登壇者の会話のやりとりを生徒が聞く方式がほとんどだった。しかし、紀里谷監督はモデレーターをつけず、一人だけで登壇して生徒と対等に向き合って対話する方式を選んだ。

筆者がこの公開講座で最も感じたことは、紀里谷監督のその器の大きさだった。器というものは目に見えないものだが、人それぞれが持っているもので、筆者はこの日初めて、本当に器の大きい人をこの目で見たという気がした。ただ熱いなんて甘っちょろい言葉だけでは表現できない、脂ののった、真の一流といった雰囲気さえ感じる。その顔の凛々しさも信念から形成されていったものだと思った。筆者は戦国時代の大名がどういう人だったのかと時々考えることがあるが、紀里谷監督を見て、かつての大名はこういう人だったのかもしれないと、勝手に妄想した。器の違いが関ヶ原の戦いの勝敗を分けたように、器の違いが、映画プロデューサーとして成功するか否か、そこを分けている気がした。いや、これは映画に限ったことではなく、成功者すべてに言えそうだが。とにかく紀里谷監督が責任を持って、命がけで映画を作ったこと、その信念の強さに心を打たれた思いである。

この日の公開講座は生徒達にとって非常に刺激的なもので、日本の武士のごとき紀里谷監督の口から発される一言一言が胸に突き刺さるものがあり、1時間、まったく油断できなかった。このやり取りはほぼ全文掲載するに値する内容だったので、出来る限り、そのときの雰囲気をここで伝えたいと思う。そして何かを感じて欲しい。

何をもってハリウッド映画か

男子生徒「ハリウッド進出作品ですが、日本とは何が違いますか?」

紀里谷監督「実際現場はあまり変わらない。熱量、詰める感じは非常に高い。プロの集団なんで、ありとあらゆるディテールにこだわっています。日本で仕事しててすごく思うのは緩いなということです。中途半端なことが多いと常々感じていました。何をもってハリウッド映画かというと、全世界に届けられるシステムだと思います。ハリウッドのシステムでやっていると、日本の緩さは許されないという感じですかね」

女子生徒「どのようにしてキャスティングしていますか?」

紀里谷監督「うちはオーディションはほとんどやんないです。自分の好きな役者を指名します。オーディションじゃ結局わからないんですよ。新しい人と仕事するときは単純にYouTubeを送ってくださいと言います。実際に会う必要はない気がします」

男子生徒「『ラスト・ナイツ』は今までの作品と比べてCGの映像表現が違うと思ったのですが、その点について聞かせてください」

紀里谷監督「CGというのは所詮道具なんでぶっちゃけどうでもいいって感じですよ。形や道具はどんどん進化していくわけで、10年前良いと思われていても今そうじゃない。重要なのは物事の本質だと思うんですね。今回は物語であり、役者たちの感情をどうつかむかだと思うんですよ」

映画業界について

モデルをやっている女子生徒「映画業界を目指す生徒たちに何かメッセージをください」

紀里谷監督「今すぐ作り出すべきだと思いますね。ネット上にはありとあらゆる情報があふれていて学べます。僕学校行ってないし、所詮学校に行ったところで卒業証書は何もしてくれないんですよ。もし自分で映画を撮りたいんであれば今から脚本を書くべきだし、iPhone6sで4Kの動画が撮れるわけですから。実際、闇しかないです。本当にクリエーターは食えないんですよ。単価がガンガン下がってきちゃってる。なんでかっていうと誰でも撮れるし見る側もそんなにクオリティを求めなくなっています。ごめんね悲観的な話で。映画業界にしても本当に作家性を求めて何を作る事が困難になって来ている。雇われ監督としてビッグタイトルの漫画とか、映画会社主導でやっている雇われ監督としてやればいいかもしれないけど、実際30人ぐらいしかいないんじゃないかな。1本のギャラが1200万円って聞くとすげえじゃんと思うかもしれませんけど、だいたい製作は1年がかりだし、毎年撮れるわけでもないし、非常に苦しい状況だと思う。『ラスト・ナイツ』はどう逆立ちしても日本ではこの予算が出ない。なぜならマーケットがそれを可能にしないわけですよね。興行収入もマーケットの逆算でいくと、日本の外に出るしかないわけですよ。アメリカでは監督の能力はもちろんのこと、プロデューサーの能力、あと法務、会計の能力が必要だということはすごく言われます。自分が作家だけやって映画を撮らせてもらう時代は終わっている気がしますね。YouTubeとかインディーズの動きを見ていると、スタジオと同じことをやっているわけで、よっぽどすごいものを出していかないと結構厳しいな。日本では見せるところがないんですね。単館がない。お金かかりすぎちゃって宣伝ができなくて誰も見に来ない。映画祭で賞を取るのも極めて難しいです」

男子生徒「どのような経緯でハリウッドの話が進んだのですか?」

紀里谷監督「単純な話です。2004年『CASSHERN』という作品を売り出しました。公開と同時にアメリカからバンバン電話がかかってきました。エージェンシーから電話がかかってきて、契約してくれと言われて、そのシステムの中に放り込まれました。アメリカではメジャーな作品はエージェンシーに入ってないと多分できないと思うんですよ。そこからいくつも企画を起こしながらやっていった。その中の一本が『ラスト・ナイツ』でした」

フランス人留学生との論争

ここで、しばらく沈黙があり、後ろの方でつまらなそうにしていたフランス人留学生に対し、紀里谷監督が話しかけ、議論に発展し、少し場内が悪い空気になった。

紀里谷監督「そこ、つまらなかったら出てけばいいじゃん。そこの一番後ろ、大丈夫?」

フランス人学生「今日映画見る前に、いろんな批評とか読んで、あまり良い批評がなかったんですよ。例えばIMDbとかrotten tomatoesとか紀里谷さんが良く知っているサイトだと思うんですけど、そこであまりいい数字がでなかったんですけども、それについてどう思われますか?」

紀里谷監督「それはもう日本でも同じですよ。『CASSHERN』やったときもすごいボロクソ言われたし。一生懸命作っているし、誠心誠意作っているわけじゃないですか。それは批評も良い方が良いけど、批評家が言っていることに対しては自分にはどうしようもないことだからね」

フランス人学生「まあでも批評家に認められていないと、アーティストとしてあまり意味ないじゃないですか?」

紀里谷監督「そうかな? 例えばさ、日本でも批評家はすごい酷評したわけ。でもオーディエンスは認めたわけね。興行収入があがっているわけだから。両方良いのに越したことないじゃん。君は何を心配しているのかって事だよね。(ここから英語になる)批評の事を聞いているんだろう? 僕にはどうしようもない。僕は自分の出来る本当に極限のベストをこれに尽くしたから、それでも批評家がなにかいうなら、どうしようもないよね。僕は彼らのために映画を作っているのか? はい、そうです。確かに観客のために映画を作っています。でも批評家についてはどうかというと、何も言えないから」

フランス人学生「でも批評家も観客ですよね?」

紀里谷監督「わかってる。でもなぜその事に君はそんなにこだわるんだ? なぜそんなに僕の事を心配してくれるんだ?」

フランス人学生「僕はあなたが気にしていないか気になる」

紀里谷監督「気にしてないよ 僕になにができる? どうしようもないとしか言えないよね。多くの映画が最初は酷評を受ける事がある。でも評価は変わったりするし、自分を信じるしかないんだ。ハリウッドでも皆、どのようなフォーマットでないといけないかとかとても気にしている。(ここから日本語)例えば30ページにはこれが起こらなきゃいけない、50ページにはこれが起こらなければいけない、といった感じで脚本を書いているわけですよ。ずっと方程式。でもね、そういう事をやっているとまたその批評家がそこを問題視するわけ。どうすればいいのっていう感じになっちゃうわけよ。だから、人に喜んでもらいたいと思ってものづくりをするし、人に喜んでもらいたいと思って絵も書くだろうし、なんでもするじゃないですか。でもある程度のとこから人の事ばっかり考えて作ったってもう分からないよね。だから自分が良いと思う事を一生懸命やるしかないと思う。だって君が誰か女の子の事を好きになったとするじゃん。その子が君の事を好きになってくれるかなんて分かんないよね。でも好きだからいろんな事をするし、その子のための事をしても、その子が君の事を好きにならない事もあるわけだから、その子に好かれようとするがために生きていくってことはちょっと違う気がするんだよね」

フランス人学生「でも恋愛とアートはちょっと違う気がするんですけど。比べられないものですよね」

紀里谷監督「じゃあ売れる作品って君は作れますか? 確実に100%」

フランス人学生「売れるじゃなくて、自分がいいもの作ったと思ったらそれがいいと思うんですけど、僕が作品とか作ったら失敗したなと思うわけで。自分の作ったものが良くないと言われたら心が痛いから」

紀里谷監督「でもそれはいつでも起こる。なんにでも起こる。100%喜んでもらえる事なんてありえないよ」

フランス人学生「では聞きます。紀里谷さんは自分の作品に満足していますか?」

紀里谷監督「もちろん。そして君も君自信の活動に満足をしてくれる事を望むよ。別に君を個人的に攻撃しているわけではないからね。俺がいいたいのは作る前からあまりにもそういうことを心配しちゃって手も足も出ない人が非常に多いと思う。見てて何か言われるんじゃないか、傷つく人がいるんじゃないだろうかと思ってる人いると思う、でも作ればいいじゃんと思うんですよ」

ひょうきん者の生徒「紀里谷監督がセックスが好きというのは知ってたんですけど、失礼ですけど、元奥さんとはどうだったんですかね? 僕もファンだったんで」

紀里谷監督「それを聞いて何になるの? こんなチャンスなかなかないわけじゃん。君の言う事より、さっきの彼の質問の方がよっぽど良いよ。君は何をやってるの?」

ひょうきん者の生徒「僕はPVをやってます」

紀里谷監督「こういうことを言ってるわけ。生き方が緩いわけよ。こういう席があって、なかなかこんなチャンスないわけじゃん。別につまんなかったら出て行けばいい話じゃん。で、さっきの彼はちゃんと質問したじゃん。それに対して皆さんの空気は悪くなったと思うけど、俺は問題ないわけよ。それはディスカッションなわけ。それで宇多田ヒカルがどうだと聞いて君はなんの得をするの。場の雰囲気を和ましてくれたの? それが緩いっつってるわけよ。緩いよ! そんなことのためにここに来てないし、そんなことのために俺が必死になって作った映画をタダで見せてないしさ。言ってることわかる? そこなんですよ皆さん、俺が日本に対して非常に違和感を持ってるのは。ひとつひとつに真剣じゃないわけ。だって限られた時間の中でやることがあって、聞くことができて。俺のことが嫌いだったらいなきゃいいわけだし、興味がなかったら帰ればいいじゃん。で、そういう質問になってしまうことがすごい起きるわけ。例えば一緒に仕事してても、なんか雰囲気を和らげるためにクオリティを達成せずになんか丸くおさめちゃったりとか、わーわーやって、作品を何も作ってないとかするわけよ。それに対して非常に違和感を感じるわけ。こちらはすっごいシビアにやってるわけね。自分の人生全部つっこんでやってるし、全部捧げちゃってるから。すべてにベストを尽くしてるつもりなの、そこから先は僕の能力がないということになっちゃうかもしれないけど、それはそれでいいじゃん。また成長すれば。だからPV作るのもいいんだけどさ、めっちゃ厳しいよ。今まで何本作った?」

ひょうきん者の生徒「まだ一本も作ってないです」

紀里谷監督「3年間ここにいて何もしてないわけじゃん。ぶっちゃけ、どうなるのかなという感じじゃない?」

ひょうきん者の生徒「どうなんですかね」

紀里谷監督「それは自分に聞く事だよね。なめてかかってんじゃない?」

現場でのディスカッションについて

女子生徒「ハリウッドは緩くないということですが、ディスカッションで相手がひかなくてぶつかり合ったときはどうするんですか?」

紀里谷監督「それはぶつかり合いじゃないんだよね。単純に良くしようと思って色んなアイデアをみんなが出してくる。しかしながら最終的に権限が監督に与えられているから監督がこれでいくと言ったらみんなが従うということだよね。監督が怖いから何も言わないというのが一番最悪だと思うわけで、そうなっちゃうと俺は違うと思うな。俺はウェルカムだよ。ちょっと口論が始まると場が凍り付くこの日本の環境に対して僕はすごく違和感を覚える。別に喧嘩してるわけじゃないじゃん」

女子生徒「私ディスカッションに対してネガティブじゃなくてポジティブに考えてます」

紀里谷監督「もちろんわかってますよ。それが日本という国では起こりにくい。ごめんなさい。国としてくくるのは僕は好きじゃないですけど。わかって欲しいのが、日本とハリウッドの違いを何かと聞かれるんですけど、実は世界中同じやり方でやっていて、日本だけすごく特殊な感じでやってるように見えるんだよね。その理屈で動いちゃってるというか、そこは変わっていくものだと思うし。自分の能力だけで考えると100%しかいかないんですよ。それが色んな人が言ってくれて、120%から200%とかにあげて行きたいと思いますし、例えば今回も撮影監督とだいぶもめたし、だいぶ言い争いになって相手が部屋から飛び出したこともある。しかし、絵がよければいいよという感じですね。今回はただ時間がなかった。50日しかない時間の中で何をするかで、とても苦労したというのはあります。もっと時間があればもっとディスカッションできたと思うけど、時間がないから振り切ったこともある。クリエイティブな監督であると同時に、現場監督で、完成させなければいけない責任があるわけですよ。それすっごい重要。世の中センスですよねとか言ってる奴なんか大間違いだと思う。やはりそこには努力があって、すっごい緻密な計算があって、圧倒的な労力がそこにかかってるよね」

外国人生徒「日本人として世界に届けたいものがあるとしたら?」

紀里谷監督「まず日本の中で邦画と洋画が分かれていることに違和感を覚えます。全部僕はおんなじだと思っている。たまたまアメリカに住んでますけど、プロモーションで日本に来てますが、僕の中で違いはないと思ってやっています。何を届けたいのか、映画に対する思いがあったりとか、脚本がもってる本質もあると思いますが、そこを届けようと思って作ってる。それが子供を生むように生まれて来ます。そこが自然と伝わって欲しいと思ってる。そこが伝わらなければ自分のやり方が間違ってるんじゃないかなと思って作ってます。今回すごく人種の壁もぶち破って作ってるし、このような時代劇で黒人・白人・アジア人・中東の人とありのあらゆる人が出てくる作品て今までないと思うんですよ。それは新しい試みで、批評家から理解できないとバッシングを受けたけど、そういうことに対してチャレンジしていきたいと思うし、本当に壁を取り壊したい。人種の壁であったり国境であったり、そういうのがないところでものを作っていければいいなと思うし、それがあるべき姿だと思う」

命を削ってでも映画を作る

男子生徒「精神をすり減らして作っているように思えました。信念というものがあったら聞かせて欲しいです」

紀里谷監督「この作品を作って、冗談でなく何度も死のうと思った。あまりにも苦しくて。それくらい俺は苦しかった。今回は監督だけじゃなくてプロデューサーも兼任しているので、お金のこともやんなくちゃいけない。クランクインするまでに3年かかってますよ。お金を色んなところから持って来た。そのファイナンスのことだけでもへとへとになります。気が狂いそうになる。そのあと、クランクインしたらしたで、圧倒的に日数が足りないような状態でしなきゃいけない。1日12時間、監督は寝れない。途中で自分はダメなんじゃないか、自分は資格がないんじゃないだろうかとか体力的にそうとう追いつめられます。それをやりながら、またファイナンスの電話がかかってくる。お金が足りない。明日お金が入らなければ止まってしまうとか、あと15分で決めてくれとか、そういう状況が撮影をしながら起こって行く。ものすごいプレッシャーですよね。アクシデントの連続なんですね映画って。それが終わってもポスプロで編集とCGだけで1年以上かかってしまって、そこの時点でお金がまたなくなっていく。その繰り返しなわけよ。で、なんでこんなことやってるんだろうなと思うわけ。もっと楽な仕事あるじゃんと思うわけですよ。ただやっぱりそういうことをするのが好きなんでしょうね。苦しいことが99%だと、最後の最後に1%喜びがあって、その喜びを味わいたいんだろうなと思う。よく思うけど、楽しいと喜びって違うんですよ。楽しいはお金で買える。ディズニーランド行ったら楽しいし、キャバクラいったら楽しいじゃん。そこに喜びがあるのかというとまた別の話で、実はそこの部分をもっと考えてもらいたい。最近喜んだことってなんだろうって。それが見つかるとその人は幸せですよ ただそこにはものすごい苦しみが付随する。それの中毒になってる話だと思うんですよ。映画監督だけじゃなく、マラソン選手だってそうだろうし、苦しいじゃん。そんなことなのかもしんない。状況をみると圧倒的に不可能なんだもん。しかしその状況の中でもできるできると自分に言い聞かせながら、最後の方は毎日祈ってた。作品ができるのであれば命を差し出しますと何度も祈ってた。信念とか努力というよりは最後は執念だよね」

マジック好きな男子生徒「自分はマジシャンをしていて、マジックのテーマパークを作るのが夢ですけど、起業するには資金もいっぱい必要で、色んなリスクがいっぱいあったりすると思うんですけど、やりたいことに対して、リスクを伴う選択をやるときにどうしたらいいのでしょうか?」

紀里谷監督「あなたがお父さんと二人でアフリカに旅行してます。病気になっていきなりバタンと倒れちゃった、どうする?」

マジック好きな男子生徒「助けるために何か選択しなきゃいけない?」

紀里谷監督「だからどうするんだよ。お父さんはバタバタしてるんだよ」

マジック好きな男子生徒「僕は処置の仕方がわからないんで、携帯で救急車を呼んだりだとか」

紀里谷監督「呼んだり"だとか"とかしたら死んじゃうんだよ。そのくらいのもんだよ。お父さんって、死んでもいいの? 今どうすんの?」

マジック好きな男子生徒「人工呼吸なり」

紀里谷監督「だから"なり"じゃないんだよ! そっから甘いんだよ。お父さんが死にかけてます。一刻の猶予を争うんだよ。あなたはどうしますか。はい、どうぞ」

マジック好きな男子生徒「多分僕自身の手じゃ助けられない」

紀里谷監督「じゃあそこでぼーっとしてみてるわけ? そこを言ってるわけよ。それが自分の夢に対する態度だよ。なんだかんだ理屈こねくり回して、やらないことを理由見つけてるだけじゃん。それくらいあなたの言ってる夢なんてちっぽけな夢なんだよ。お父さん助けることですら言い訳見つけてんじゃん。私は何もできないからだとかさ。俺だったら担いで医者を探すね。何でもする。俺はその状況下では命まで差し出す。手段を選ばない。あなたはやる前にリスクがどうたらこうたらとか言ってるわけよ。くっだらないよそんなの。そんなので何ができんのよ。多分5年後10年後も同じこと言ってるよ。私には夢があるっつって。単純な話ですよ。皆さん。今やるんですかやんないんですか。私にはお金がない時間がない、資格が無い教養がない、延々その話じゃん。でもやってみればいいじゃん。あなたマジシャンなの? なんでこんなとこ座ってんの? 今家に帰って馬鹿みたいに練習すればいいじゃん。夢なんかどーっでもいい。夢を語ることなんかどーっでもいい。やるのかやんないのか、それだけだと思う。死ぬほどいっぱいいるんだもん自分の夢を語るおっさんたちが。そいつらに限って人がやってることに対してどうたらこうたら言う訳じゃん。そのどっちになんのって話よ」

声が大きい男子生徒「自分がやりたいと思っても予算的に難しいとき、誰かを頼るときどうすればいいですか?」

紀里谷監督「あなたが1年後に映画を撮らなかったら両親が殺されます。どうします?」

声が大きい男子生徒「まあ映画撮りますね」

紀里谷監督「どうすればいいですかなんてそんなぬるい質問なんかしねえじゃん。そこよ皆さん、わかる? どうすればいいですかと言われてさ、こうすればいいですよと言えますよ。やり方を教えてもいいですけど、じゃあ同じ事できるんですか? DMM.comの会長につないでもらってその人に頭下げて出資してもらいました。でも君が同じ事ができるのか? 一人じゃ撮れないっていったけど、iPhoneで撮れるじゃん。脚本が素晴らしかったらいいんじゃね? それを見た誰かが、この人こういうことやってるから、じゃあ100万円渡そうってなって、100万円で作って、今度はそれを見た人が1000万渡してくれる。いいですか。自分の家族が殺されると思ったら何でもできません? 自分でインターネットで探しませんか? お金をどうやって集めてくるかなんていっぱい書いてあるはず。何かを教えてもらおうとか、何か近道があるとか、ぶっちゃけないよね。でもここに希望を持って欲しいんだけど、今始めればできるんだよね確実に。自分の話だと、写真家になってトップクラスになりました。でもつてがない、やり方が無い、どうしていいかもわからない。で、知り合いのレコード会社に行って、ギャラも製作費もいりませんから、だからお宅のバンドを貸してくださいと言って、彼らのPVをホームビデオで撮って、Final Cutを使って編集しました。編集のやり方もさっぱりわからないけど、説明書を読んで勉強しましたよ。それで出した。今見たらさんざんの出来かもしれないけど、でもそこの社長がいいじゃんといって、50万もらえた。次の奴撮って来てよと言われて、今度は16ミリを使って作りました。そしたらすごいじゃんといわれて次300万くれた。次はセット作れるじゃんとなって、セットを作ってやりました。そうこうしているうちに、それを聞いた人がうちのフィルムやってよといって5000万くれた。それをやってるうちに、じゃあ映画撮ろうかとなって、タツノコプロに持って行って、まったく何のつてもない、企画だけ持って行って頼み込んだらオプション件をくれたよ。それで脚本を作り始めた。金はどこから来るかわかんない。そうこうしてるうちに松竹の社長が会ってくれるって話になって、社長が6億円くれた。・・・・動かないと!・・・。こう聞くと、皆さん、運がいいんですねと思うわけですよ。いやいやいや、どれだけその人に会うために何百人会ってることか。どれだけミーティングに出ていることか。どれだけドアを叩いていることか。でもそれくらい俺はこれをやりたかった。映画を撮りたかったし、ミュージックビデオを撮りたかったし、写真を撮りたかった。俺はそのためだったら死んでもいいと思ってる。俺明日死んでも全然OK。いつでも差し出します。そうなればさ、リスクとかどうでもいいのね。単純な話、作りたいのを作りたいんですか、作りたくないんですか?」

ここですでに時計は1時間を回っていた。

紀里谷監督「もう時間だよね。締めさせて。日本の若者よ。今がチャンスです。なぜならば回りの人間がみんなぬるいから。だからそこで目を開いてやろうと思って必死になって命をかけてやればこの国では何でもできると思う。どいつもこいつもぬるすぎる。どいつもこいつも仕事をしない。どうやって仕事を楽しようかとかばっかり考えてる。海外に行けば本当にわかるけど、俺から言わせると日本ほど仕事をしない人たちがいない。日本人は勤勉だと思ってるだろうけど、びっくりするよ、そのぬるさに。なんでこんな仕事しないの。なんでこんなに頑張らないのって思っちゃう。俺から言わせると突き抜けて行くチャンスだと思う。これからの選択肢はあなたたち次第。ぬるい中でやっていくのもよし。それでもなんとなく食べていけるでしょう。しかしすべてをかけて毎日毎日必死になってやって行けば、ものすごい結果が出てくる。こんなチャンスがある国は他にはない。アメリカはこんなにぬるくない。俺がこんなこというと、極論ですよとか、きつすぎますよとか、生徒には刺激がありすぎますよとかいつも言われます。そうでしょう。だったらぬるい話聞いてればいいじゃんと思う。そういうことをいう大人はあなた方のことはどーっうでもいいと思ってますよ。そんなつもりで今日は話をしました。ありがとうございました」

こうして中身の濃すぎる公開講座は幕を下ろした。『ラスト・ナイツ』は、細部まで丁寧に作り込まれた作品で、その根底に日本の武士道が描かれている。日本の美学を持ったこれほどの作品が日本人の手から生まれたことを筆者は誇りに思う。映画『ラスト・ナイツ』は、11月14日(土)より公開される。(取材・澤田英繁)

2015年10月13日 02時00分

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