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『祖谷物語 -おくのひと-』蔦哲一朗監督インタビュー

『祖谷物語 -おくのひと-』蔦哲一朗監督インタビュー

自主制作映画とは思えない壮大なスケールの映像詩

映画が好きだから映画を撮る。こういう情熱を持つ若者たちは日本全国にいるが、いわゆる自主制作映画というものは、作り手の情熱に技術が追いついてなかったり、概して安っぽいものが多く、一般人の鑑賞に耐えうるものは少なかった。そんな中で、今年『祖谷物語 -おくのひと-』というある一本の自主制作映画が一般劇場で商業公開されて話題を呼んでいる。それは、これまでの自主制作映画の常識を覆すもので、徳島の祖谷を舞台に、大自然の四季を35ミリフィルムで撮影し、壮大なスケールで描きあげた崇高な作品である。一言で言えば「作ったことがすごい」ともいえる作品だ。

これを作ったのは、徳島出身で現在29歳の蔦哲一朗監督である。仲間たちと共にニコニコフィルムを立ち上げ、自ら企画し、脚本を書き、資金を集め、監督した。そしてなんと配給から宣伝まですべて自分たちでやったのである。それはまるで映画界に突如現れたオーソン・ウェルズという若造が『市民ケーン』を作ったような、あるいはデヴィッド・リーンが遠い砂漠の真ん中で重たいカメラを担いで途方も無いスケールの大作『アラビアのロレンス』を作ったような、それほどの驚きがあった。

蔦監督は「こんな映画が作れてうらやましい」と業界人から羨望のまなざしで見られた。海外で様々な映画賞を受けており、香港映画祭では審査員のポン・ジュノから絶賛され、「1年間も35ミリフィルムで撮影するなんてクレージーすぎるよ」とありがたいお褒めの言葉までもらっている。このたび、シネマガでは蔦監督と直接コンタクトを取り、独占インタビューすることができた。堂々と『祖谷物語』のTシャツを着て我々と会ってくれた蔦監督は、作品にかける思いについて、2時間たっぷりと語ってくれた。この記事は、その貴重なインタビューをまとめたものである。(構成・澤田英繁)

『祖谷物語-おくのひと-』公式サイト
http://iyamonogatari.jp/

 

「映画はやっぱり映像あっての映画」

--どうやってお金を貯めることができたのですか?

蔦「全部で2500万円かかってるんですけど、企画を立ち上げたときに三好市の市長さんに持って行って、"1年間撮りたい、祖谷のすばらしさを日本と世界に伝えたい"と、そこを重点的に話しまして、市長さんが一発でOKしてくれたんです。そこで1000万。僕が地元出身で、親父が三好市の総務部長をやってたんですよ。すべての課に顔がきくし、そういったエネルギーもあってお金も貯まった感じです。ホテル代とか食事代とかもだいぶ負担してくれました。色んな課から何百万とか助成金という形でいただいて、それで500万くらい。あとは300万くらい自分で借金して、親戚回りで700万くらい出資してくれたんですよ。徳島自体が観光スポットがないんで、祖谷って、かずら橋が一番の観光スポットで、祖谷をもっと広めたいという思いがもともとあったんですよ」

--企画段階でストーリーは決まってるんですか?

蔦「いえ、ほとんど違う話でした。最初は短編だったんですよ。僕の大学時代から、みんなフィルムでやりたいという思いが強いんで、35ミリでやるというのだけが絶対条件で、僕たちは人間の共存というか、自然を撮りたいという願望があるんで、35ミリで1年間四季を撮るというのが決まっていて、長編とかストーリーはほとんど決まってなくて、おじいちゃんと女の子だけの短編のシナリオでした。その段階で市長さんに持って行ったら、地元から"どうせだったら長編にしてください"ってなったんです」

--蔦監督は本作がデビュー作ですよね?

蔦「デビューというのは意識してないですね。商業としてかかるとは思ってなかったので。大学から自主制作とか短編とか、『夢の島』という80分くらいの映画がPFFさんで観客賞を取って、それもバンクーバーとか映画祭に行ってます。それが企画書に並んでいることが後押しになったと思います」

--『夢の島』は『祖谷物語』と比べていくらくらいかかってるのですか?

蔦「『夢の島』は200万くらいです。小さいときからためてた貯金と、スタッフもみんな出してくれてるんで。16ミリの白黒映画で、現像も自分でやってました。そういう日々を送ってました。35ミリフィルムの場合、フィルム代も現像代も倍になりますね」

--フィルムはフィルム代が高いからテイクは1回きりとか?

蔦「僕は1回きりとは思ってないです。昔の人でも30回撮ってる人はいっぱいいたと思うし。自分はビデオで撮ってないんで。確かに大学時代はお金がなくてフィルムがもったいないんで、よーいスタートというときにフィルムを回して、けちりけちり撮っていたのは覚えてるんですけど。今では堂々と撮ってます」

--フィルムで撮ってみて、いかがでしたか?

祖谷物語

蔦「フィルムの良さは絶対あると思うんですよ。今回もフィルムの良さは伝わったと思います。映像の美しさとか、味わい深さは感じてもらえたと。そこは自分もしてやったりというか、勝負していたとこもあるんで。DVDにする必要もないというか、僕も大スクリーンでやることを意識して作ってるんで、テレビで見ることは意識してないです。カメラマン自体がスケールのでかい映画が好きなんで、『ラストエンペラー』とか『地獄の黙示録』とか、ヴィットリオ・ストラーロが好きなんで、すごく意識してるんですよ。
僕達はフィルムがやりたいからやってるだけなんで。大学の先生にフィルムの基礎を叩き込まれて、現像も自分たちでやって、大学2年生から16ミリフィルムをずっといじってました。フィルムの感覚が好きというのもあるんですけど、自主制作の人たちがビデオで撮るじゃないですか。それを見てて、”こういう絵は撮りたくない”というのを常に思ってるわけですよ。それをフィルムだと解消してくれるんです。本音を言うと、ビデオで映画を撮る理由が全然見えないというか。僕は中身だけを撮りたいわけでもないし、ストーリーさえ良ければいいというわけでもないし、映画はやっぱり映像あっての映画だと思ってるんで。
上の人たちに向かって言うのもあれですけど、最近はプロの人たちも怠ってるなと思ってしまうんで。経済的な効率の面でフィルムに手を出さないと思うんですけど、それはやっぱり映画の作り手として怠慢でしかないなと思っています。上の人たちはフィルムで撮ろうと思えば撮れますからね。デジタルで今撮った映画は100年後に残ってないと思います。仕組みとしても残ってないと思うんですけど、映画で撮ったオーラみたいな名作感がデジタルにはないと僕は勝手に思ってしまうんで。自分たちも過去の名作たちに憧れて映画を撮ってるからフィルムしかないというか。良いビデオカメラを使えばフィルムルックな映画が撮れるかもしれないですけど、レンタル代だけで1日15万円かかったりしますから製作費がばかになりません。僕達が使ったフィルムカメラは知り合いからほぼタダで借りてるんで、それもでかいと思います」

--どんな映画が好きですか?

蔦「一番影響を受けているのはジブリになってしまうんですよ。『もののけ姫』とか『ナウシカ』もそうですけど、どれというわけではなく全体が好きなんで。テーマ的なものとかかなり影響されてると思いますね。人間との戦いとか意識してるんで。僕も田舎で見てるんで、川がコンクリートになっていく怒りというのは感じているんで、そこら辺が根底にあって、それを描きたいというのはありました。
他には、映画版の『ドラえもん』とか影響受けているのもいっぱいあります。『日本誕生』とか『ドラビアンナイト』とか『アニマル惑星』とか、あの時期の『ドラえもん』の映画は一番凄いですね。『雲の王国』とかその辺はすごい影響を受けてます。
実写で言うと本当にいっぱいあるんですけど、最初にすごいと思ったのはチャップリンと黒澤明ですよね。チャップリンのドストレートなメッセージとか、黒澤さんのピュアな思いがストレートに伝わって来ます。そこから派生してきて、タルコフスキーとかアンゲロプロスとかすごい好きですね。タルコフスキーはやっぱり映像がすごいと思うんですよ。『ノスタルジア』が僕一番好きなんですけど、ラストのロウソクを持って行ったり来たりするのが好きで。ロシアとか好きです。たぶんフィルムも現像も違うから、フィルムの質感がロシアの映像になってるのだと思います。日本もある意味、フィルムはフジとかイマジカとか独特の映像になっていると思います。
ただの屁理屈なんですけど、自分がいいと思うもので作りたいじゃないですか。フィルムで撮ってる現場ってやっぱり楽しいんですよ。レトロなカメラが現場にあって、本当に映画を撮ってるという気にさせてくれるというか。それはやっぱりあると思います。今回"フィルムで撮れていいね。羨ましい"とか言われるんですけど、僕からしたら"じゃあやればいいじゃないですか"って、本音を言いたいですけどね。本当にやりたいんだったらやってますから。木村大作さんだってやってるんだし。『剱岳』見たときは、あんな過酷な場所で撮影をして、俺も頑張ろうという意識もありました」

--役者はどうやって集めたのですか?

祖谷物語

蔦「東京から来た青年役の大西信満さんは、企画書でそれなりにすんなりと出演を決めてくれました。お爺役の田中泯さんには多少尻ごみしましたが、祖谷という場所に泯さん自体が興味があったみたいでして、熱意の末にOKしてくれました。春菜役はオーディションで何名か見たのですが、しっくりこなくて、そんな時に武田梨奈さんが出てる忍者の映画を見て、いいなと思ったんです。事務所に電話して、直接会いに行くと、印象も良かったし、人としてすごく純粋な子で、祖谷の山奥にいそうで、即決でした。武田さんは本当に良い子で、現場の人たちにも愛される子です。武田さんも当時アクション女優としてやってて、それ以外にもやってみたいという思いがあったんで、飛びついてくれたというか。武田さんがその後有名になったのも、タイミングがうまくいきました」

--東京のシーンを入れた理由は何ですか?

蔦「祖谷だけでは伝わらないと思ったので。やりたいこととしては自分の罪悪感というか、水を使うことにしても電気を使うことにしてもそうだし、原発事故があってから電気を使うことに対しての意識とか多少はできたと思うんですけど、それも薄れているというか。原発を使うこと自体色んな人に負担をかけているというか。自分たちの生活は誰かしら無意識に知らないところで色んなものに負担をかけていたことを知らなかったと思うんですけど、それは原発の事故で多少気づいて、忘れて、そういうことに対する罪悪感が常にあって、都会の人がそれを考えるのはどうしても祖谷だけでは弱いのかなと思ったんです。僕自身が東京の春菜を見てみたかったというのもあるんですけど」

--どのように配給・宣伝していったのですか?

蔦「配給のやり方は誰かに教わったわけではないんですけど、基本は劇場で交渉して劇場にかけてもらう、シンプルに言ったらそうじゃないですか。その方法はどうでもいいと思うんです。劇場に持って行っても電話でもいいと思うんで。『祖谷物語』の場合、作品の力もあったと思うんです。劇場の人も見てくれたら"これはやっとかないといけないな"と言ってくれるんで。次回作以降も配給まで自分たちでやってみようかなと思っています。宣伝については、予算内でパブリシティをやる力がなかったんで今後は他社に任せると思うんですけど」

--いろいろな映画祭に出品していますが、費用はかかるのでしょうか?

蔦「こちらから見てもらうときにはお金はいりますが、向こうから声がかかった場合には費用はかかりません。カンヌとかベネチアには1万円とか5千円くらい応募費がかかります。応募したんですけど、そういう場合ってちゃんとまともに見てくれないですね。やっぱりどこかの推薦とかつてがあった方が強いですね。コンペに選ばれたらめっちゃお金がかかるらしいですよ。パーティしなくちゃいけないんで。映画祭は12・3やってて、これからも上海とか行くんで、また増えます。招待されたものは、渡航費も宿泊費もタダなんで『祖谷物語』のお陰で僕は世界中をタダで回ってますよ」

--今後もプロデュースからやっていきたいですか?

蔦「僕はどっちかというと、企画制作というのがもしかしたらやりたいというのもあるんですけど、自分が作りたいものを具現化したいというのもあるんで、それを僕以上にうまく演出できるという人がいたらそれでお願いしてもいいと思います。プロデューサーが似合ってると言われることもあるんですけど、仲間には似合ってないと言われてますけどね」

--自主制作映画にしては上映時間が169分と長めですが、120分に収めようとは思わなかったのでしょうか?

蔦「カットの長さがのびていったんで、最終的にはこうなりました。まわりでは切れという意見もあったんですけど、自分の納得のいく時間がこれだったんで。自分でお金を集めて自分でやりたくてやってる作品ですから、人の意見を聞く必要がないというか。やっぱり長さあってゆえの『祖谷物語』の良さというのもあると思うんで。最後空撮でひいていくところは、2時間では感動がないと思うんですよ。長いこと東京の生活もありつつ、その長さゆえのラストカットだと思うんですよ。抵抗がある人はあると思うんですけど、『祖谷物語』の空気感を自分の中でのみこめたら多分ずっと浸れるような映画だと思うんです。見るというよりは浸る映画なんで。
僕は『祖谷物語』は仕事で撮ってるわけではないんで、自分で撮りたくてやってるんで、自分でやりたくないことをやる必要はないと思うんです。今後はどうなるかわかんないですけど、シンプルに"フィルムなくなっちゃいますよ"というのも言いたいですし、そこに対して最近の人は危機感が無いというか、"こういう若者がいるんだぞ"というのを映画界に突きつけたかったというのもあったんで」

『祖谷物語 -おくのひと-』は、現在全国順次公開中。

2014年6月23日 02時37分

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