『リアリティのダンス』アレハンドロ・ホドロフスキー監督、降臨
アレハンドロ・ホドロフスキー。ちょっとした映画フリークなら、まあこの名前を聞いてピンと来ないわけがない。もう40年以上も昔の話である。『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』。この2本が有名だけど、まだ見てない人はぜひ一度見て欲しい。脳天直撃ぶっとび映画である。カルト映画という言葉はこの人のためにあるようなもので、この2本だけでホドロフスキーは現在も熱狂的な人気を集めている。このホドロフスキー監督が、長いブランクを経て、ついに新作を完成させた。7月12日から公開予定の『リアリティのダンス』である。この新作のPRのためにホドロフスキーが日本にやって来たのである。6月14日には監督についてのドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』も公開を控えていて、この夏はまさにホドロフスキーの季節到来の兆しである。
ホドロフスキーの来日。これはオバマ大統領の来日にも匹敵する大事件である。配給・宣伝のアップリンクがやってくれた。よくぞ日本までホドロフスキーを連れて来てくれたと、一映画フリークとしてこれは感嘆せずにはいられないわけで。アップリンクも、あれやこれやと企画を考えてくれて、ホドロフスキーの貴重な滞在期間をとことんまでおもてなししようじゃないかという心意気が伝わってくるようだった。そのため、イベントもなかなか珍しいものが多かった。ホドロフスキーのありがたい説法付き座禅会なんて企画もやっちゃったし、中でも極め付きは人間タロット。実はホドロフスキー監督は二十歳のときからタロットを研究していて、ならばスケールでっかくやってもらおうじゃないかと、その企画が実現した。
若さの秘訣とは
去る4月24日(木)、新橋のヤクルトホールでそのイベントは行われた。『リアリティのダンス』の先行プレミアムチケットは即完売。満席の中で、白いスーツ姿のホドロフスキー監督が登場した。それはもう「降臨」という言葉が一番ふさわしいものだった。この神々しいオーラ。ホドロフスキー監督はとても人の良さそうな感じで、笑顔がとても優しそうだった。85歳ときいて、失礼ながら最初はヨボヨボなお年寄りを想像してしまったが、実際に本人を見てみると、ものすごくバイタリティにあふれる感じで、何事にも精力的。いったいどこからそんなエネルギーが出てくるのだろうと思った。聞けば、その若さの秘訣は若い妻を持つことだとか。イベントには推定40歳くらいは年下であろう若い奥様(パスカル・モンタンドン・ホドロフスキー。映画では衣装を担当)も登壇して、仲睦まじくキスをしていた。記者会見で監督が言った言葉は「妻に触れるだけで私は若返る」とのこと。そんな素敵なセリフ、一度言ってみたいものだ。
『リアリティのダンス』を見ると、アクの強さといい、ホドロフスキースタイルが今も健在であることがわかる。作品のテーマについては、人それぞれが映画を見て自由に感じて考えて欲しいとのことだ。ホドロフスキーの息子がホドロフスキーの父親役を演じているが、ホドロフスキー監督は「息子の中に父親を見ていたたまれなくなった」と話していた。『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』では、ホドロフスキー監督が一人で脚本から主演や音楽まで何もかも全部自分でやっていて、チャップリン以上にワンマンな監督であったが、今回はホドロフスキーの家族が衣装や音楽などそれぞれを担当しており、DNAがそのまま引き継がれた内容になっている。『エル・トポ』時代のホドロフスキー監督を彷彿とさせる息子のご尊顔に感動しまくりである。
まるで魔術師
それにしても、人間タロットにおけるホドロフスキー監督の話術のなんとまあ巧妙なことか。「私は魔術師ではないから未来のことはわからない。タロットでわかるのは現在のことだけだ」とは言っていたが、まるで魔法にかけられたかのように催眠術的にぐいぐいと引き込まれた。
今回人間タロットをやったのは監督も初めて。「私が考えたんじゃないよ」と笑いながら、宣伝の考えた企画に監督が興味本位で乗ってぶっつけ本番でやった形だった。しかし、タロットのカードの意味だけではなく、タロットのカードを持っている人間の髪型やスタイルなどまでタロットの一部にして融合させたところはさすがの一語。打ち合わせは一切していないが、「あなたは死のカードを引いたりしないかな」と言ってかと思うと、その男性が引いたカードはドンピシャ死のカードだったり、首の痛みが治らないという男性を占ったときには「その原因は母親にある」と言ったかと思うと、その男性が引いたカードは偶然母を象徴するカードを引いて観客を驚かせた。「誰かスペイン語で歌を歌える女性はいないか」と言って客席から女性を呼び出して、先ほどの男性に背中から抱きつかせて子守唄を歌わせ、男性に「怒れ!叫べ!」と言わせ、それに従って叫ぶ男性。なんだか首の痛みが浄化されて行くような錯覚さえ覚えた。異様な空気がそこに漂っていた。
カードの説明にも説得力があり、カードの関連性についてもつじつまがあっている。さすがに、60年以上やっているだけのことはあった。話しているうちに監督も興奮してきて、何度もステージから前のめりになって、ステージから落ちやしないかと心配したくらいだ。大事なことを言うところでは少しでも観客に近づいて話したいという熱意が伝わってくるようだった。案の定予定時刻をたっぷりオーバーし、司会者を困らせたが、それでも「よし、もう一枚ひいてみよう」とか言ってやめる気なし。もっともっとみんなに見せたいという感じであった。
最後に、このイベントでホドロフスキー監督が熱く語った、とてもありがたい人生哲学について掲載する。これは映画のテーマにも通じていると思う。
人生の目的は何か、それは自分の思考の産物だ。私は個人だ。しかし、人生は私の物だ。人生とは何かということと、人生の目的は何かということは別物だ。文化があり、歴史があり、家族がある。それは私の人生と同じなのか? 私自身の目的と人生の目的。何を変えたいか。自分の人生を基本にしたいのか、それとも人生の目的を基本にしたいのか。集団というのが目的なのか。あなたとあなた。集団を考えているとき、そこに間がある。私は死ぬ。それは残念なことではない。集団というのを考えたとき、人生は不死だ。好奇心がある。しかし、すべてを知ることはできない。でも人類がいつか私が知りたかったことを知ることができるし、それをみんな知るようになるだろう。これから先、何百万年も人類が続いて行けばいつか解明される。
私の目的はなんなのか。楽しむ事か、おいしいものを楽しむことか、性的に満足することか、それは限界がある。それは私が生きている限り、愛する人が次の世代に渡して行けば、それが不死となる。すべてが変わって変化をとげているときに私の思考が正しいのか、私の目的は何なのか、それは私の意識を広げるためだ。なぜ宇宙は膨張しているのか、それはひとつの意識を形成しているからだ。誰が宇宙の意識になるのか。それが人生だ。そこに向かって人生は進んで行く。精神に向かって行くことで物質まで精神となる。
人生に目的はない。なぜなら、人生そのものが目的だからだ。不死になる必要はない。すべてを知る必要もない。なぜなら人類の意識にそれがあるからだ。それはそれを伝える媒体となってこの一番大きな意識に向かっていく。私が話しているのは、一人一人のことではなく、宇宙のことだ。神経のニューロンの10とか20とかではない。みんなの中には何千万もある。皆の中のそれを合わせれば無限大になる。
今、成長を拒んでるのが、家族であり、文化である。世界のシステムは私たち自身になることを拒んでいる。世界が望んでいるのは、私たちが世界が望むようになることだ。私は人類であり、惑星だ。バカのせいでこの惑星をけがしているかもしれない。馬鹿のせいで戦争を起こしているかもしれない。馬鹿のせいで自分自身を閉じ込めてるかもしれない。私に戸籍はない。年齢もない。名前もない。何も私の物ではない。なぜなら、私はすべての人であり、あなたはすべての人だからだ。そして今日ここにみんなが集まった。ここにすべてがある。ここにないものはどこにもないのだ。
『リアリティのダンス』は7月12日より新宿シネマカリテほか全国順次公開(取材・澤田英繁)