『大統領の執事の涙』リー・ダニエルズ監督が人種差別問題について語る
2月6日(木)、有楽町にて『大統領の執事の涙』の来日記者会見が行われ、リー・ダニエルズ監督が登壇した。
『大統領の執事の涙』は、ケネディやニクソンなど、7人の大統領に仕えた黒人の執事を描く感動の物語。
日本外国特派員協会で行われたこの日の記者会見は、司会進行も英語で、質問者も外国人が中心だった。日本のよくある記者会見と違い、質問の内容も重厚で、リー・ダニエルズ監督はひとつひとつの質問に真摯に答えていた。一語一語、ゆっくりと答えるその姿勢からは、作品を作るにあたって揺るがない信念を持っていたことをうかがわせた。
本作は製作を大手映画会社にことごとく断られ、インディペンデントスタジオで製作する形になった。しかし、出演者の名前を見てみると、8人もアカデミー賞の受賞者がいて、メインキャストの比率としてはアカデミー賞を取ってない人の方が取っている人よりも少なかったのである。ダニエルズ監督は「ストーリーという素材が良かった。映画スターではなく、あくまで彼らのことは役者と言わせてもらうが、それぞれ政治的な活動をしている人も多くて、タダでも出たいという人が多かった。この作品に出ることによって、自分なりのステートメントを示すことができたのだ。役者たちは皆この映画に出ることに対してエキサイトしていた。この映画にゴーサインが出たのは黒人俳優だけでは足りなかった。白人の俳優がいたお陰で製作ができた映画でもあるのだ」と語っている。
作中からも有色人種に対する差別問題が見て取れる。ダニエルズ監督は、自身の記憶を次のように振り返った。「少年の頃、アルファベットを学んだ。それは、白人専用と有色人種専用を見分けるために覚えなければならなかったからだ。白人と有色人種とで飲み水も違っていた。子供の頃は、白人用の水道からは、スプライトかジンジャーエールが出ると思って、父の目を盗んで飲んだことがある。アメリカでは人種に関する問題は人が考えないようにしがちだ。まるで存在しないようにするふりをするのが多い。私もそうであった。今回の作品をリサーチしている中で色々なことを知って、父母子供の扱われ方に多くの怒りを覚えた。子供にセックスを説明することは大変だと思っていたが、それよりも人種問題について説明することの方が難しかった。黒人がなぜ白人に嫌われているのか、なぜ色が違うからそういう扱われをするのか、それを説明をするのは大変だった。辛い思いをしたが、そういう怒りは自分の中に溜め込んでおくべきものではない。なぜなら、怒りというのは自分の中で巣食ってしまうからだ」
そういうダニエルズ監督は、本作のテーマは「希望」だと語る。「彼らがいかにヒーローであったかを描いている。果たして黒人が白人の肩と肩を並べて食事をしたり、黒人が選挙権を得るために活動できたかわからない。アフガニスタンや北朝鮮の方に対しても、ヒーローを作って行かなければならないという思いを込めてこの映画を作った。私はノーというのを良しとしたことはない。小さいときからたくさんの友人たちが殺されていくのをこの目で見た。父も私がティーンエイジャーのときにひどい殺され方をした。私はゲイだが、友人や恋人たちをHIVで失った。今HIV陽性でないこと、死んでないことが奇跡だ。ドラッグで心臓発作を起こしたこともある。そういう風に生きて来た中で、ノーと言わなかったこと、その強さが自分を安定させたと思う」
また、本作の現代は『リー・ダニエルズ ザ・バトラー』というタイトルであることについて意見を求められたダニエルズ監督は、「私は映画を生徒たちに教えるのも大好きだ。生徒たちには映画に自分の名前を冠するなと常々教えて来た。クエンティン・タランティーノならまだしも、今回自分の名前が冠されることになって生徒たちに顔向けできなくなった。製作のワインシュタインカンパニーとワーナー・ブラザースの間でタイトルがかぶったことで裁判沙汰になって、ワインシュタインカンパニーの意向でこういうタイトルに変更になったが、私はこの問題には一切関与していない。本当はあってはならないことだが、映画作家はタイトルに対しては口出しできないのだ。だからアメリカのタイトルは私は嫌いで怒りすら覚えていたが、日本に来たらタイトルが違っていた。『大統領の執事の涙』というタイトルを見て、ワーオ!これがタイトルだ!と思った。ちょっと長いから自分なら『執事の涙』くらいにおさめたと思うが、これこそタイトルだと思った。とはいっても、母を映画館に連れて行ったとき、『リー・ダニエルズ ザ・バトラー』というタイトルを見た母は涙ながらに抱きしめてくれた。これで良かったと思う」とコメントしていた。
『大統領の執事の涙』は、2月15日(土)全国ロードショー。(澤田)