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『すべては君に逢えたから』0からオリジナルの映画を作ること

12月9日(月)、デジタルハリウッド大学(駿河台)で、『すべては君に逢えたから』の松橋真三プロデューサーと本木克英監督による公開講座が行われた。

この映画がいかにして作られたのか、製作の裏側について語られ、生徒たちは真剣に耳を傾けていた。


『すべては君に逢えたから』(現在公開中)は、駅や電車内でも大きく広告を出していて、ポスターや予告などを見られた方も多いと思う。本作は、クリスマスの東京駅を舞台に、様々な年代の男女たちの恋愛を描いた群像劇である。『ただ、君を愛してる』の玉木宏を筆頭に、ビューカードのCMでもおなじみの高梨臨など、有名キャストが総勢10人集まっている。

この公開講座では、この映画が色々な意味で他の映画とは違った製作形態で作られたことが明かされた。その大きな特色は以下の5つだ。


(1)製作期間が通常よりも短いこと
(2)オリジナル脚本であること
(3)様々な年代の男女が登場する恋愛映画であること
(4)松竹の監督がワーナーの映画を監督していること
(5)東京駅構内で撮影していること


もともとこの映画の企画は、JR東日本の子会社であるジェイアール東日本企画と映画製作会社の白組が持って来たものである。「JR東京駅100周年を迎える大イベントをやりたくて、その皮切りとして映画をやりたい」と松橋プロデューサーに声をかけたのがその一番最初のきっかけである。通常ならば2・3年をかけて映画を作るところを、1年で作らなければならなかった。「クリスマスの公開に間に合わせたい」、「オリジナルの作品を0から作って欲しい」というのがJR東日本からのオーダーだった。

松橋プロデューサーはこの話が来たとき、次回作『黒執事』にとりかかっていたのだが、『黒執事』が撮影に入る頃にはすでに『すべては君に逢えたから』は完成していたという。それだけ短期間で作ったということである。

オリジナル脚本であること。これは大した問題ではないと思うかもしれない。しかし、今日の日本映画業界においては、オリジナルの作品を作ることは非常に難しいことなのだという。映画を作るということは大変なことで、宣伝もしなければならないし、そのためにはお金がかかる。そうなると、有名な原作がなければなかなか映画化が実現しないのである。今回は、JR東日本のバックアップを得た上でオリジナル脚本の映画が製作できるのだから、松橋プロデューサーにとってはこれは非常にやりがいのある仕事であった。

「プロットを書いてやってみて、ダメだったらやめようかなと思っていたら、これが面白かった。この映画が生まれようとしているのを止められなかった」と松橋プロデューサーは当時を振り返る。「『ニューヨーク、アイラブユー』や『ラブ・アクチュアリー』みたいなものを東京でやれないかと考えた。ロマンスをいっぱい盛り込んだ作品が作れたらいいなと思った。『ラブ・アクチュアリー』にはヒュー・グラントが出ているから、じゃあ玉木さんかなと思って玉木さんに最初に声をかけた」

松橋プロデューサーと玉木宏とは10年以上の付き合いで、松橋プロデューサーは「玉木さんがやれそうな役は、まず最初に玉木さんに声をかけるようにしている。今でも映画が終わったら玉木さんの方から”次は何をしましょうか”と言ってくれる」と話していたくらい気心が知れている。本作でも一貫して玉木宏が出演していることを柱にして企画を通して来たといい、「オリジナル作品だと、企画を見せても誰もイメージができない。そこで玉木宏が出ていることを話すことでイメージしてもらえる。キャストの年代が違う話がいくつかあって、玉木宏と倍賞千恵子が出ていること、ゆずとJUJUが主題歌を歌う恋愛映画だということを伝えて企画を通して行く」と話していた。

松橋プロデューサーは、プロデューサーの仕事について、次のようにコメントしている。

「0を1にする仕事。何もないところから始める。プロデューサーがいなければ映画は生まれない。自分ならこんな映画を見てみたいという目指す方向にもっていくのが仕事。最初に扉を開けて、最後に閉めるのがプロデューサー。一本の映画に何百人という人が関わる。説得力があり、忍耐力があること。常にマーケットを見ていないといけないし、平凡な人でないといけない。胃がきりきり、心臓がどきどきすることもあるから鉄の胃袋と鋼の心臓が必要」


この映画の監督には、人間ドラマが描ける本木克英監督が適任と判断された。しかし、この映画の製作会社はワーナーで、本木監督は松竹の社員である。簡単にはお願いできない。最初はワーナーから直接本木監督宛に直々に話が来て、その後、松竹との話になった。結果として松竹は「本木監督が他社の映画を監督することは問題なし」とし、晴れて松竹の監督がワーナーの映画でメガホンをとることになったのである。

「日本映画を撮ってる人の99%はフリーランス。社員で東宝や東映にいる監督はいなくなった。会社として監督を抱えるのはリスクがある。僕は松竹50周年のときに助監督の採用があって、それに応募したら採用された。それ以来、松竹では助監督を募集していない。僕は”モトキ”という名前だから、絶滅寸前の”トキ”と言われている」と本木監督は笑う。

「今年の5月中旬に話があった。クランクインは3週間後と言われた」と本木監督。最初こそ驚いていたものの、この話を快諾した。そこに監督として非常に大きな魅力があったからだ。

映画製作では都内でロケすることは難しく、大抵は郊外や地方でロケされるものである。ましてや東京駅構内で撮影することはまず有り得ないことである。今回はJR東日本がこの映画製作のためにダイヤを変えてまで撮影に協力してくれるわけで、東京駅構内も撮影できる。これは一監督として大きな魅力だった。

本木監督は、「有名な原作ものでないと商業映画にならないが、なるべくオリジナルで作りたいという気持ちがあった。日本では恋愛映画はヒットしないからなかなか作らせてもらえないが、恋愛映画を一度撮ってみたいと思っていた。玉木宏の出演も決定していて、さらにゆずとJUJUの2アーティストからの主題歌提供も決まっていた。話を聞いたとき、もうすでに製作する準備ができあがっていた。これは実現性が高く、途中で頓挫することもないだろうと思った。今回はある種の職人監督として参加させてもらおうと思った」と当時の気持ちを素直に振り返った。一方で「松竹として、倍賞千恵子さんは、日本のさくら。こういう機会で監督できるのは光栄だ」とも語っていた。

公開講座では、メイキング映像が上映され、現場の様子を本木監督が説明した。倍賞千恵子のケーキ屋が実は東宝のセットであることや、撮影が実は7月の猛暑の中で行われたことなどが伝えられ、気温40度の中、役者たちが防寒着を着て演じていたことは生徒たちを驚かせていた。


デジタルハリウッド大学の公開講座は一般の人も参加できる。この日は、映画業界を志す生徒たちの他に、玉木宏の裏話を聞くためにファンが全国から詰めかけ、会場が満席になった。(澤田英繁)

2013年12月15日 21時29分

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