世界中が注目 宮崎駿監督引退会見
『風立ちぬ』公開中の宮崎駿が、9月6日(金)、吉祥寺のホテルで行われた記者会見にて、公式に引退することを表明した。
宮崎駿の引退については、9月1日(日)にイタリアのベネチア映画祭でスタジオジブリの星野社長から発表されたことで、「詳しいことは6日に記者会見を行うからそこで発表する」とだけ伝えられていた。このニュースは瞬く間に世界中に広がり、6日に行われた記者会見では、受付開始1時間前からすでにスチールカメラが100台を突破。結果として、日本のみならず、世界中から600社を超えるマスコミがひとつの部屋に集まることになった。通常の映画の会見では取材するマスコミは60社程度が普通だが、常識から言えばこれはかなり有り得ない数のマスコミが集まったことになる。「マスコミがこれだけ集まった」ということ自体がニュースになってしまうほどの数である。それだけ宮崎駿監督の偉大さ、引退に対する注目が高かったということである。
会見には宮崎監督の他にプロデューサーの鈴木敏夫、スタジオジブリの星野社長も出席した。10分程度で終わるのかと思えば、延々と100分近く続けられた。質疑応答も記者全員が気が済むまで続けられた感じである。ハリウッドの映画スターの記者会見の場合、つまらない質問をする人が少なからずいるものだが、この日の会見の質問はいずれも質が非常に高く、興味をひかれる質問が多かった。
会見では「公式引退の辞」なる物々しいタイトルのペラが配られていた。引退の理由について書かれた紙で、「要するにノロマになっていくばかり」とあり、作品にかける時間が年々長くなっているが、残った人生は自由に生きたい。ジブリ美術館の展示など自分の好きな仕事をして生きて行きたいという旨が書かれてあった。
会見で印象的だったのは、「自分は監督というよりアニメーターだ」というような言葉を何度も言っていたことだ。「監督になって良かったと思ったことはない。アニメーターの場合、良い絵が描けると2時間ぐらい幸せな気持ちになる。監督の場合、最後に判決を待たなければならない。これが胃に悪い」と語っていた。映画を作り始めたらいっさいテレビも見ない。スタジオにこもりきり。だから今どんな映画が公開されているのかも全く知らないという。映画ができた後、映画を見ないとも言っていた。『風立ちぬ』がベネチア映画祭に出品されたことも宮崎監督自身は会見中に初めて知ったほど、自作のプロモーションについてはほぼ関知していないところも印象的だった。
海外メディアの注目もかなり高かったので、この記事では主に海外メディアの質疑応答に着目したいと思う。
韓国メディア「韓国にも宮崎監督のファンはいっぱいいる。今話題になっている零戦についてはどう思うか?」
宮崎監督「色々な国の方々が作品を見てくださっているのは嬉しい。作品のモチーフそのものが国の軍国主義が破滅に向かっている時代を舞台にしているので、色々な疑問が家族からもスタッフからも出た。それにどう答えるかということでこの映画を作った。映画を見て頂ければわかると思う。映画を見ないで論じても始まらない。色々な言葉にだまされないで見て頂きたい」
台湾メディア「台湾の観光客にとって日本旅行でジブリ美術館は絶対に外せない。台湾のファンにも引退を残念がある声がいっぱいある。引退後海外のファンと交流する予定はあるか?」
宮崎監督「ジブリ美術館の展示については私は関わらせてもらう。ボランティアという形になるかもしれない。自分が展示品になってしまうかも(笑)ぜひ美術館に来て頂きたい」
ロシアメディア「色々な外国のアニメーション作家から影響を受けたと聞いた。ロシアにはノルシュテインがいるが、詳しく教えて欲しい」
宮崎監督「ノルシュテインは友人だ。負けてたまるかという相手だ。彼はずっと『外套』を作っている。ああいう生き方もひとつの生き方だと思う。実は今日高畑勲もここに来ないかと誘ったが断られた。彼はずっとやる気だなと思った(笑)」
イタリアメディア「イタリアを舞台にした作品を色々作っているが、イタリアは好きなのか?」
宮崎監督「イタリアはまとまってないことも含めて好きだ。友人もいるし食べ物はおいしいし女性は綺麗だ。おっかない気もするが、イタリアは好きだ」
フランスメディア「イタリアが好きということだが、フランスはどうか?」
宮崎監督「正直に言うが、イタリア料理の方が口に合う(笑)。クリスマスにたまたまフランスに用事があって行ったとき、どこに行ってもフォアグラが出てくる。これが辛かったなという感じで。答えになってない? でもルーブルは良かった。フランスにも良いところは色々あるが、イタリア料理の方が好きだ。フランスには、ポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』が1950年代に公開されて甚大な影響を与えた。特に僕よりも5つ上の高畑勲の世代に圧倒的な影響を与えた。僕はそれを少しも忘れていない。今見ても志と世界の作り方に感動する。いくつかの作品がきっかけでアニメーターになろうと決めたが、フランスで作られた映画の方が遥かに大きな影響を与えている。イタリアで作られた作品もあるが、それを見てアニメーションをやろうと思ったわけではない」
中国メディア「宮崎監督の好きな作品、好きな監督は?」
宮崎監督「今の作品を全然見ていないから答えられない。ノルシュテインも友人、ジョン・ラセターも友人。アードマンの連中も友人。競争相手ではないと思っている。高畑監督の映画は見ることになると思うが、まだ覗くのは失礼だから見ていない」
香港メディア「今ずいぶん痩せている気がする。健康状態はいかがか?」
宮崎監督「今は63.2kgだ。50年前にアニメーターになったとき57kgだった。60kgを超えたのは結婚したせい。三度飯を食うようになってからだ。一時は70kgを超えた。そのころの自分の写真を見ると醜い豚のようで辛い。映画を作るために体調を整える必要があるから外食をやめた。朝ごはんをしっかり食べて、昼ごはんは家内の作った弁当を食べて、夜は帰ってから食べるが、ご飯は食べないでおかずだけ食べるようにした。そうしたらこういう体重になった。これは女房の強力のお陰なのか陰謀なのかわからない。最後は57kgになって死ねるといいなと思う。スタートの体重になって死ねればいいと思う」
宮崎監督といえば、今まで何度も引退すると言っておいて引退せず、世間から「やめるやめる詐欺」とまで言われるほどだが、よく考えてみると、今まではマスコミが勝手に大げさに書いて世間が勝手に騒いでいただけであり、今回のように記者会見で発表するのはこれが初めてである。この日は宮崎監督も「どうせまたやるだろうと思う人がいるかもしれないが今回は本気だ」ときっぱり言い切っている。鈴木プロデューサーは落ちぶれてからやめるよりも『風立ちぬ』が大ヒットしている今こそ潔く引退するのだと説明していた。宮崎監督は最後にまとめの挨拶として笑顔で「もう二度とこういうこと(引退会見)はない」と言って壇上をあとにしたのだった。(取材・澤田英繁)
スタジオジブリ長編映画一覧
No. | 公開年 | タイトル | 監督 | 興行収入 | 観客動員数 |
---|---|---|---|---|---|
- | 1984 | 『風の谷のナウシカ』 (※トップクラフト制作) |
宮崎駿 | 7.4億円 | 91万人 |
1 | 1986 | 『天空の城ラピュタ』 | 宮崎駿 | 5.8億円 | 77万人 |
2 | 1988 | 『となりのトトロ』 | 宮崎駿 | 5.9億円 | 80万人 |
3 | 1988 | 『火垂るの墓』 | 高畑勲 | ||
4 | 1989 | 『魔女の宅急便』 | 宮崎駿 | 21.7億円 | 264万人 |
5 | 1991 | 『おもひでぽろぽろ』 | 高畑勲 | 18.7億円 | 217万人 |
6 | 1992 | 『紅の豚』 | 宮崎駿 | 27.1億円 | 305万人 |
7 | 1994 | 『平成狸合戦ぽんぽこ』 | 高畑勲 | 26.5億円 | 314万人 |
8 | 1995 | 『耳をすませば』 | 近藤喜文 | 18.5億円 | 209万人 |
9 | 1997 | 『もののけ姫』 | 宮崎駿 | 193億円 | 1420万人 |
10 | 1999 | 『ホーホケキョ となりの山田くん』 | 高畑勲 | 15.7億円 | 116万人 |
11 | 2001 | 『千と千尋の神隠し』 | 宮崎駿 | 304億円 | 2340万人 |
12 | 2002 | 『猫の恩返し』 | 森田宏幸 | 64.6億円 | 535万人 |
13 | 2004 | 『ハウルの動く城』 | 宮崎駿 | 196億円 | 1512万人 |
14 | 2006 | 『ゲド戦記』 | 宮崎吾朗 | 76.5億円 | 610万人 |
15 | 2008 | 『崖の上のポニョ』 | 宮崎駿 | 155億円 | 1287万人 |
16 | 2010 | 『借りぐらしのアリエッティ』 | 米林宏昌 | 92.5億円 | 765万人 |
17 | 2011 | 『コクリコ坂から』 | 宮崎吾朗 | 44.6億円 | 355万人 |
18 | 2013 | 『風立ちぬ』(公開中) | 宮崎駿 | 現在92.3億円 | 現在747万人 |
19 | 2013 | 『かぐや姫の物語』 | 高畑勲 | 11月公開 |
<登壇者略歴>
■宮崎駿(スタジオジブリ監督)
1963年、東映動画に入社し、アニメーターとして出発。1985年に高畑勲と共にスタジオジブリを立ち上げ、世界的なアニメ映画監督になる。もはや説明不要の巨匠。現在72歳。
■鈴木敏夫(スタジオジブリプロデューサー)
1978年、『アニメージュ』を創刊。副編集長、編集長を経てスタジオジブリのプロデューサーになり日本映画の興行成績の記録を次々と塗り替える。現在65歳。
■星野康二(スタジオジブリ社長)
1990年、ウォルト・ディズニー・ジャパンに入社。スタジオジブリのビデオ販売契約を結ぶ。2000年よりディズニーの社長として日本のディズニー事業を総括。2007年、ディズニーの会長に就任。2008年、スタジオジブリ社長に就任。現在57歳。