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韓国と北朝鮮の攻防を描く『ベルリンファイル』リュ・スンワン監督が特別講義を実施

6月17日(月)、渋谷の映画美学校にて、来日した『ベルリンファイル』のリュ・スンワン監督による特別講義が行われた。スンワン監督は映画監督を志す生徒たちに、映画製作の裏側を語り聞かせていた。


映画美学校では、篠崎誠監督の司会進行で、この1ヶ月前にも『イノセント・ガーデン』のパク・チャヌク監督を招いて特別講義を行っており、今回はそれに引き続いてパク・チャヌクの弟子であるリュ・スンワン監督が最新作『ベルリンファイル』をひっさげて来日、講義を行った。『ベルリンファイル』は韓国のスパイ映画だが、ベルリンを舞台に、北朝鮮問題にも鋭くメスを入れている。

リュ監督は「この映画では北朝鮮を描いていますが、思っているほど北朝鮮が圧迫してくることはなかったです。それ以上に、私が慎重になったのは北朝鮮の描き方でした。北朝鮮は閉鎖的でしたし、私自身実態を知り得ないものでした。どうしたら事実を歪曲しないで北朝鮮を描くか、その点は難しかったです」と話していた。

生徒から「なぜベルリンが舞台なのですか?」と質問されると、リュ監督は「冷戦時代の後にも関わらず、未だに冷戦時代のイデオロギーに傷ついている人もいるんですね。この映画で描きたかったことはそこです。ベルリンという都市が持っている象徴的な意味は私にとっても大きいものでした」と説明し、舞台をベルリンにした理由として以下の項目をあげていた。

(1)ベルリンも朝鮮半島も冷戦を象徴していること。
(2)ベルリンに留学した韓国の学生が北朝鮮のスパイとして逮捕された事件があったこと(東ベルリン事件)。
(3)北朝鮮に拉致されて北朝鮮で映画を撮っていた韓国の映画監督シン・サンオク(代表作『プルガサリ』)夫妻が北朝鮮から脱出したのがベルリン映画祭だったこと。
(4)世界で最も大きな北朝鮮の大使館がベルリンにあること。
(5)ベルリンは冷戦時代に「スパイの都市」といわれていたこと。

リュ監督がいかにして映画監督になったかについての秘話も語られた。リュ監督も実は映画美学校の生徒と同じように、以前は仕事の傍ら、ワークショップで映画を学んだ生徒だった。そこでパク・チャヌク監督と出会い、妻と出会ったのである。

「時間があれば講義を聞いて、自分で短編を書いたりしていました。ワークショップといっても、それはひどい環境でしたよ。皆さんにも見せたかったくらい。今もあんな風に教えていたら刑事告発されているでしょうね」

「妻と相談してひとつ決めたことがありました。どうしても撮りたい映画があるから、それを撮って認めなければ映画をやめるという思いでした。ところがそれがことごとく映画賞で落選してしまいまして。最後に送った賞でようやく賞を取って、その賞金をもとに次の映画を撮りました。2本目の短編は韓国で一番大きなインディーズ映画祭で大賞を取ることができまして、そうしてデビュー作を作ることになったのです。映画会社の社員と私の妻が親しかったので、私はこっそりカメラを借りて撮っていました。そうでもしないと生き残れない世界ですから」とリュ監督は言う。

日本映画にも影響を受けたとのことで、特に鈴木清順監督に心酔していたという。50年ほど前に韓国の映画雑誌が企画した「鈴木清順展」ではキム・ジウン監督などと共に鈴木監督にインタビューしたことも語ってくれた。「インタビューできたことは良い経験になりました。鈴木清順の映画を見ると病み付きになりますよね。『東京流れ者』は私が作ったコメディ映画のお手本になっています」とリュ監督。

最後に生徒から「映画を見て、縦や横の直線のイメージが印象的でしたが、何か意図していたのでしょうか」と質問されると、リュ監督は「映画を作る過程の中でできるだけ自分が作った痕跡を残さないようにしています」と意外な回答で切り出し、「シナリオが要求しているスタイルがあると思うのでそれを探して撮るようにしています。私のスタイルが映画を支配してはいけないと思っています。私の好み通りに撮りたいように撮れたらいいのですが、作品は新しいストーリーがあり、俳優があるので、それに合わせて作るのが私にとっての課題だと思うのです。今おっしゃってくださったように、直線のイメージがあったとしたら、おそらくこのイメージが信念の枠の中に閉じこもって生きている人の失敗談といえる話だからかもしれないですね。もしかしたら美学的な構図でそういった手法を無意識的に取り入れたのかもしれないです」と話していた。

『ベルリンファイル』は、7月13日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー他全国ロードショー。

2013年6月23日 09時53分

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